正山寺は、慶長15年(1610年)に
開創された曹洞宗のお寺です。
曹洞宗(そうとうしゅう)の本山は福井県の永平寺(開祖高祖道元禅師”どうげんぜんじ”)と、神奈川県の総持寺(開祖太祖瑩山禅師”けいざんぜんじ”)です。
寛永35年(1658年)二本榎(現 高輪)に開創された国昌寺と明治27年(1894年)に合寺されました。
正山寺境内には、戊辰戦争に出兵した仁賀保家家臣 細谷源蔵(ほそやげんぞう)の墓や、 仁賀保兵庫之輔(にかほひょうごのすけ)の姉の石仏、大石頼母助良重(たのものすけよししげ)、大石内蔵助良欽(くらのすけよしたか)、大石権内良昭(ごんないよしあき)の墓があり、合寺された国昌寺と縁の深かった明国の武術者 陳元贇(ちんげんぴん)の記念碑、山門脇には烏枢沙摩(うすさま)明王像が祀られています。
東京都港区 正山寺外観
正山寺 ご本尊
聖観世音菩薩坐像(しょうかんぜおんぼさつざぞう)
仁賀保兵庫之輔(にかほひょうごのすけ)の姉の石仏
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)
700年頃から身心清浄を祈って信仰を集め、忿怒(ふんぬ)の形相は厄や魔を遠ざける守護尊として 祀られ、院政期には変成男子法(へんじょうなんしほう)(男子出生祈願)が修行されました。こうした性質から、現在でも受胎祈願・安産祈願・厄除け祈願等の本尊として信仰されています。
正山寺では8肘(8本の腕)の立像が厨子に入って安置されています。
陳元贇(ちんげんぴん)(1587~1672)記念碑
1625年に明国から亡命。武術家として高名であり、手取り術(柔道と十手術を組み合わせた武術と思われる)を日本に伝授し、講道館柔道の源流と言われています。
尾張藩主に招かれ、寺院設計・薬草園などに尽力し、特に尾張藩陶芸に大きな貢献をすることとなり、ベトナム様式の絵付けをした「元贇焼き」は大変な人気を博し、珍重され大切にされました。
85歳の天寿をまっとうし、名古屋の建中寺に葬られています。
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)
700年頃から身心清浄を祈って信仰を集め、忿怒(ふんぬ)の形相は厄や魔を遠ざける守護尊として 祀られ、院政期には変成男子法(へんじょうなんしほう)(男子出生祈願)が修行されました。こうした性質から、現在でも受胎祈願・安産祈願・厄除け祈願等の本尊として信仰されています。
正山寺では8肘(8本の腕)の立像が厨子に入って安置されています。